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〈供の以下十七字流本無〉ちの御ありきよりも、いとすくな〈か脫歟〉りつる」と人々いとほしがりなどする程に、夜は明けぬ。京へ物しやるべき事などあれば、人出し立つ。大夫「よべのいとおぼつかなきを御かどのへんにて、御けしきも聞かせむ」とてものすれば、それにつけて文物す。「いとあやしう、おどろおどろしかりし御ありきの、夜もや更けぬらむと思ひ給へしかば、たゞ佛をおくり聞えさせ給へとのみ祈り聞えさせつる。さてもいかに覺えたる事ありてかはと思う給へれば、いまたあまたいたくて罷り歸らむ事も難かるべきこゝちしける」など、こまかに書きて端に、「昔も御覽ぜし道とは見給へつゝ、罷り入りしかどたぐひなく思ひやり聞えさせし。今いととくまかでぬべし」と書きて、苔ら着いたる松の枝につけてものす。曙を見れば、霧か雲かと見ゆるもの立ち渡りてあはれに心すごし。晝つ方出でつる人歸り來たり。「御文は出で給ひにければ、をのこどもに預けて來ぬ」とものす。さらずともかへりごとあらじと思ふ。さて晝は日一日例の行ひをし、夜はあかし〈二字るじカ〉の佛を念じ奉る。めぐりて山なれば晝も人や見むの疑なし。すだれ卷き上げてなどあるに、この時過ぎたる鶯の、鳴き鳴きて〈木イ有〉のたちがらしに、人く人くとのみいちはやくいふにぞすだれおろしつべく覺ゆる。そもうつし心もなきなるべし。かくて程もなくふじやうのことあるを、出でむと思ひ置きしかど、京は皆形ことにいひなしたるには、いとはしたなき心ちすべしと思ひて、さし離れたるやにおりぬ。京よりをばなど思しき人ものしたり。「いとめづらかなるすまひなれば、しづ心もなくてなむ」〈などイ有〉語ひて、五なるほど六〈五六日ふる程イ〉月さかりになりにたり。木蔭いとあはれなり。山陰の暗がりたる所を