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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/99

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り。大門の方に「おはしますおはします」といひつゝ、のゝしる音すれば、あげたるすどもうちおろして見やれば、こまより、火ふたともしみともし見えたり。幼き人けいめいして出でたれば、車ながら立ちてある。「御迎になむ參りきつるを、今日までこのけがらひあればえおりぬを、いづくにか車はよすべき」といふに、いとものくるほしき心ちす。返りみ〈事カ〉に、「いかやうに思してかかく怪しき御ありきはありつらむ。今宵ばかりと思ふ〈い脫歟〉み侍りてなむのぼり侍りつれば、ふじやうのこともおはしますなれば、いとわりなかるべき事になむ。夜更けて侍りぬらむ。とく歸らせ給へ」といふを始めて行きかへる事度々になりぬ。一丁の程をいしばしおりのぼりなどすれば、ありく人〈道綱〉こうじて、いと苦しうするまでなりぬ。これかれなどは「あないとほし」など弱き方ざまにのみいふ。このありく人、「すべてきんぢいと口をし。かばかりの事をば、いひなさぬはなどぞ。御氣色惡し」とて、なきにも〈も衍歟〉なく。「されどなどてかに更にものすべき」といひはてつれば、「よしよしかくけがらひたれば、とまるべきにもあらず。いかゞはせむ。車かけよとあり」と聞けば、いと心安し。ありきつる人は、「御送りせむ。御車のしりにてまきる〈二字からむカ〉心更にまたは詣で來じ」とて泣く泣く出づれば、これをたのもし人にてあるにいみじうもいふかなと思へども、ものいはであれば人など皆出でぬと見えてこの人は歸りて御送せむとして〈て衍歟〉つれど、きんぢはよからむ時にをとて、おはしましぬ」とてしゝ〈よゝ歟〉と泣く。いとほしう思へど、あひしれそ〈ごカ〉とをさへかくてやむやうもあらじなどいひならさむ。時は八つになりぬ。道はいと遙なり。「御供の人はとりあひけるに從ひて、京のう