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をのみ聞しめしならひたる御心どもに、珍らかにうとましければたゞあきれ給へり。武士どもなかばをわけて金剛山へむかひたれば、さならぬのこり都にあるかぎりは戰をなす。今をかぎりの軍なれば手を盡してのゝしる程まねびやらむ方なし。雨のあしよりもしげく走りちがふ矢にあたりて目のまへに死をうくるもの數をしらず。一日一夜いりもみとよみあかすに兩六波羅殘るてなく防ぎつれど、遂に陣の內やぶられて今はかくと見えたり。日頃さぶらひ籠り給へる上達部殿上人なども今日と思ひまうけたらむだに、君のおはしまさむかぎりはいかでかまかでもちらむ。ましてかねてよりかくかまへけるをもしろしめさで、昨日かとよ當代の宣旨をたまはりしものゝ、かくうらがへりぬれば誰かおもひよらむ。すべて上下となくひとつに立ち込みてあわて惑ひたり。日ぐらし八幡、山崎、竹田、宇治、勢多、深草、法性寺など、もえあがる煙ども四方の空にみちみちて日のひかりも見えず、墨をすりたるやうにて暮れぬ。こゝにも火かゝりていとあさましければ、いみじう固めたりつる後の陣を辛うじて破りてそれより免れて出でさせ給ふ。御心ちども夢路をたどるやうなり。內のうへもいと怪しき御姿にことさらやつしたてまつる、いとまがまがし。兩院御手をとりかはすといふばかりにて人に助けられつゝ出でさせ給ふ。上達部大臣たち、袴のそばとりてかうぶりなどの落ちゆくもしらず空を步む心ちして、あるは河原を西へ東へ樣々ちりぢりになり給ふ。兩六波羅〈仲時時益〉ひんがしをさしてあづまへと心がけておちければみゆきも同じさまになる。西園寺の大納言公宗は北山へ坐しにけり。右衞門督經顯、左兵衞督隆蔭、資明宰相などはみゆきの