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供にまゐらる。按察の大納言資名は足を傷ひて東山わたりにとまりぬなどいひしはいかゞありけむ。內大臣殿は御子の別當道冬伴ひ給ひて八日のあけぼのゝいまだ暗きほどに、我が御家の三條坊門萬里小路に坐しましつきたるに、步み入り給ふほども心もとなくて北の方門へはしり出でゝ、平らかにかへりおはしたると思ふうれしさに急ぎて見れば、おとゞは御直衣に指貫ひきあげ給へればしるく見え給ふ。別當は道の程のわりなきに折烏ぼう子に布直垂といふ物うち着て、ほそやかに若き人の御ぜんどもに紛れたればとみにも見えず。火などもわざとなければくらきほどのあやめわかれぬに、はやういかにもなり給へるにやと心ちまどひて御方は、いかにいかにと聲もわなゝきて聞えける。いとことわりにいみじうあはれなり。さてはみゆきは近江國に坐します程に、いぶきといふほとりにてなにがしの宮とかや法師にていましけるが、先帝の御心よせにてかやうのかたもほの心え侍りけるにや、待ちうけて矢を放ちたまふ。又京よりも追手かゝるなど聞えければ六波羅の北といひし仲時、內春宮兩院具し奉り、番馬といふ所の山のうへに入れ奉りぬ。手のものどもゝ猶殘りて從ひつきけれども戰もかなはずやありけむ、遂にこの山にて腹切りにけり。おなじきみなみ時益といひしはこれまでもまゐらず、守山のへんにてうせにけりとぞ聞えし。あやなくいみじき事のさまなり。御所々の御供には俊實の大納言、經顯の中納言、賴定の中納言、資名の大納言、資明の宰相、隆蔭などぞ殘りさぶらひける。俊實、資名、賴定などはやがてそこにて髻切りてけり。一院よりも歸り入らせ給ふ。御門に御文を奉り給ひて面々に御出家あるべしなどまで