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このせうとの爲定の中納言も前の御代にはおぼえ華やかにていと時なりしにひきかへ、しめやかにつれづれと籠り居たれば、おほぢの大納言爲世、度々院の御氣色たまはられけれどいとふようなれば心もとなう思ひわびて、春宮大夫通顯の君して重ねて奏しける。

  「和歌のうらに八十ぢあまりの夜の鶴の子を思ふ聲のなどかきこえぬ」。

大夫はうけばりたる傳奏などにてはいませざりけれど、この大納言歌の弟子にてさり難きうへ、事のさまもゆゑあるわざなれば直衣のふところに引き入れて參り給へりけるに、後伏見〈三字イ無〉院の上のどやかにいで居させ給ひて、世の御物語など仰せらる。折よくて思ひ歎くさまなどねんごろに語り申して、ありつる文ひきいでつゝ御氣色とり給ふ。大方いとなごやかにおはします君の、まいて何ばかり罪ある人ならねばかうしおぼすまではなけれど、いさゝかも武家よりとり申さぬことを御心にまかせ給はぬに、かくとゞこほるなるべし。「いとふびんにこそ」とのたまはせて、やがて御かへし、

  「雲の上にきこえざらめや和歌の浦に老いぬるつるの子をおもふこゑ」。

今年は祭の御幸あるべければ、めづらしさに人々常よりも物見車心づかひして、かねてより棧敷などもいみじう造れり。使どもゝいかで人にまさらむとかたみにいどみかはすべし。本院、新院、廣義門院、一品宮も忍びて入らせ給ふなどぞ聞えし。御車寄にて菊亭の右のおとゞの御子實尹の中納言參りたまへり。殿上人もよき家の君達ども色ゆりたるかぎり、いと淸らにこのましう出でたちつかまつれり。御隨身なども花を折れるさまなり。出車にいろい