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ろの藤つゝじ、卯花、撫子、燕子花などさまざまの袖口こぼれ出でたるいと艷になまめかし。祭など過ぎて世の中のどやかになりぬるほどに、先帝の御供なりし上達部ども、罪重きかぎりとほき國々へつかはしけり。按察大納言公敏、頭おろして忍びすぐされつるもなほゆりがたきにや、小山の判官秀朝とかやいふもの具して下野の國へときこゆ。花山院大納言師賢は千葉介貞胤うしろみて下總へくだる。五月十日あまりに都出でられけり。思ひかけざりしありさまどもさらなり。

  「別ともなにかなげかむ君すまでうきふる里となれるみやこを」。

北の方は花山院入道右のおとゞ家定の御むすめなり。その御腹にも又こと腹にも君だちあまたあれど、それまでは流されず。うへのいみじう思ひ歎きたまへるさまあはれにかなしけれど、今はかぎりの對面だに許されねば、はるくる方なく口をしく、よろづに思ひめぐらされていと人わろし。

  「今はとていのちをかぎる別路に後の世ならでいつをたのまむ」。

源中納言具行もおなじ頃あづまへゐてゆく。あまたの中にとりわきて重かるべく聞ゆるは、さまことなる罪に當るべきにやあらむ。內にさぶらひし勾當の內侍は經朝の三位のむすめなりき。はやうは御門むつましくおはしまして姬宮などとうで奉りしを、其後この中納言いまだ下﨟なりし時よりゆるし給はせて、此の年頃二つなきものに思ひかはして過ぐしつるにかくさまざまにつけてあさましき世をなべてにやは。日にそへて歎きしづみながらも、お