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用意すべし。后の宮の御腹の一品內親王御うらにあはせ給ひて去年の冬頃より御きよまはりありつる、今日明日齋宮に居給ふ。八月二十日まづ河原へいでさせたまひてやがて野の宮に入らせ給ふ。その程の事どもいみじうきよらなり。この御いそぎ過ぎぬればまづ六波羅を御かうじ〈たいじイ〉あるべしとてかねてより宣旨に從へりしつは者どもをしのびてめす。源中納言具行とりもちて事行ひけり。むかし龜山院に御子など產み奉りてさぶらひし女房、この頃は后の宮の御方にて民部卿三位と聞ゆる御腹に當代の御子もいでものし給へり。山の前の座主にて今は大塔の二品法親王尊雲と聞ゆる、いかでならはせ給ひけるにか弓ひく道にもたけく、大かた御本性はやりかにおはしてこの事をもおなじ御心におきてのたまふ。又中務のみこひとつ御腹に妙法院の法親王尊澄と聞ゆるは今の座主にてものし給へば、かたがた比叡の山の衆徒も御門の御軍に加はるべきよし奏しけり。つゝむとすれど事廣くなりにければ武家にもはやう漏れ聞きてさにこそあなれと用意す。まづ九重をきびしくかため申すべしなどさだめけり。かくいふは元弘元年八月廿四日なり。雜務の日なれば記錄所におはしまして、人の爭ひうれふる事どもを行ひくらさせ給ひて人々もまかで、君も本殿にしばしうち休ませ給へるに「今夜既に武士どもきほひ參るべし」と忍びて奏する人ありければとりあへず雲の上をいでさせたまふ。中宮の御方へわたらせ給ひてもしめやかにもあらずいとあわたゞし。かねておぼし設けぬにはあらねども、事のさかさまなるやうになりぬれば、よろづうきうきと我も人もあきれゐたり。內侍所神璽寳劔ばかりをぞしのびてゐてわたらせ給ふ。