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うへはなよらかなる御直衣たてまつり、北の對よりやつれたる女車のさまにてしのび出でさせ給ふ。かの二條院のむかしもかくやと思ひ出でらる。日頃の御用意にはまづ六波羅を攻められむまぎれに山へ行幸ありて、かしこへつはものどもを召して山の衆徒をも相具し、君の御かためとせらるべしと定められければ、かの法親王たちもその御心して坂本に待ち聞え給ひけれど、今はかやうに事たがひぬればあいなしとて俄に道をかへて奈良の京へぞ赴かせ給ふ。中務の宮も御馬にて追ひて參りたまふ。九條わたりまで御車にてそれより御門もかりの御ぞにやつれさせ給ひて御馬にたてまつるほど、こはいかにしつる事ぞと夢の心ちしておぼさる。御供に按察大納言公敏、萬里小路中納言藤房、源中納言具行、四條中納言隆資などまゐれり。いづれもあやしき姿にまぎらはして暗き道をたどりおはするほど、げに闇のうつゝの心ちして我にもあらぬさまなり。丑三つばかりに木幡山過ぎさせ給ふ。いとむくつけし。木津といふわたりに御馬とめて東南院の僧正のもとへ御消息つかはす。それより御輿を參らせたるに奉りて奈良へおはしましつきぬ。こゝに中一日ありて廿七日わづかの鷲峯山へ行幸ありけれども、そこもさるべくやなかりけむ、笠置寺といふ山寺へ入らせ給ひぬ。所のさまたやすく人の通ひぬべきやうもなく、よろしかるべしとて、木の丸殿のかまへを始めらる。これよりぞ人々少し心ちとりしづめて近き國々の兵などめしにつかはす。さて都には廿四日の夜、六波羅より常陸介時知馳せ參りて百敷の中をあさりさわぐ。其の程人の曹子などにおのづから落ち殘りたる女房の心ちいはむかたなし。おはしますおとゞを見れば、近