Page:Kokubun taikan 07.pdf/710

提供:Wikisource
このページは校正済みです

たくゆゝしきにも、もし皇子にておはしまさゞらむをりいかにと思ふだに胸つぶるゝに、いかなる御事にかあやしうさるべき程もうち過ぎゆけば、なほしばしはさこそあれと待ち聞ゆれど、さらにつれなくて十七八廿卅月にも餘らせ給ふまでともかくも坐しまさねば今はそらごとのやうにぞなりぬる。大かた上下の人の心ちあさましともいふべききはならず、御うぶやの儀式、あるべき事どもなどこちたきまでもよほしおかれ、よろしき家の子ども二親うち具したるえらばれしかど、こゝらの月頃にはあるはぶくになり、そのぬしも病して頭おろしなどすべてよろづあいなくめづらかなればいはむ方なし。前坊のはじめつかた、中院の內のおとゞ通重の御むすめ參り給ひて十八月にて若宮うまれ給へりしかど、やがて御子も母御息所もうせ給ひにしかば、いみじうあさましき事にいひさわぎし程に、又その後このとまり給へる入道の宮參り給へりしも、十七月ばかりにやたゞならずおはしまして、既に御氣色ありとて、宮の中たちさわぐ程に、たゞゆくゆくと水のみいでさせ給ひて、むかしの弘徽殿の女御の太秦にてありけむやうにてやみき。をりふし賀茂の祭の頃にて、春宮の使もとゞまりなどしてさやうのをりをり人の口さがなさ、せめても先坊の御かたざまの事をおとしめざまにいひなやまし、人々もこの頃ぞ又かくまさるためしもありけりと、はしたなく思ひあはせける。さのみやは、さてしもおはしますべきならねば、內へ歸り入らせ給ふにもいとあさましう珍らかなる事をおぼしなげくべし。御修法どもゝありしばかりこそなけれど猶少しづゝは絕えず、いつをかぎりにかと見えたり。その頃左のおとゞ實泰もうせ給ひぬ。世の