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おとゞ通重の御はらからなり。それもさまかはり給ひぬ。近頃よき人々おほくうせたまふさまこそいと口をしけれ。

     第十五〈如元〉 むら時雨

竹のそのふはしげゝれど、秋の宮の御腹には唯一品內親王ばかりものし給ふをいとあかずおもほしわたるに、この頃めづらしき御惱のよし聞ゆれば、いとめでたくあらまほしき御事なるべきにやとうへもいみじくおぼされて、かねてより御修法どもこちたく始めらる。ましてその程近くならせ給ひぬれば、式部卿の宮の常磐井殿へ出でさせ給ひて、うへも二三日へだてず通ひおはします。陣の內なれば上達部殿上人夜晝となく袴のそばとりて參りちがふ。御せうとの兼季のおとゞも絕えずさぶらひ給ふ。いみじき世のさわぎなり。故入道殿今しばしおはせましかばとおぼしいづる人々おほかり。山、三井寺、山科寺、仁和寺すべて大法祕法まつり祓かずを盡してのゝしるさまいと賴もし。七佛藥帥の法、靑蓮院二品法親王〈慈道〉つとめさせ給ふ。金剛童子常住院の道昭僧正、如意輪法道意僧正、五壇の御修法の中壇は座主の法親王行はせ給ふ。如法佛眼は昭訓門院の御志にて慈勝僧正うけたまはりたまふ。一字金輪は淨羅僧正、如法尊勝は桓守僧正、愛染王賢助僧正、六字法聖尋僧正、准胝法は達智門院の御沙汰にて信耀僧正つとむ。その外なほ本坊にて樣々の法ども行はせらる。六月ばかりいみじう暑き程に、壇ども軒をきしりて護摩の煙みちみちたるさまいとおどろおどろしきまでけぶたし。社々の神馬はさらにもいはず、藥師陰陽師かんなぎども立ち騷ぎ世のひゞくさまめで