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中いみじくなげきあへり。かくて元德元年にもなりぬ。今年いかなるにかしばぶきやみはやりて人多くうせたまふ中に、伏見院の御母玄輝門院、前坊の御母代の永嘉門院、近衞大北政所などやんごとなきかぎりうち續きかくれ給ひぬれば、こゝかしこの御法事しげくていとあはれなり。かやうの事どもにて今年もまた暮れぬ。明くる春の頃、內には中殿にて和歌の披講あり。序は源大納言親房かゝれけり。かねてよりいみじう書かせ給へば人々心づかひすべし。題は花契萬春とぞきこえし。御製、

  「時しらぬ花もときはの色にさけわがこゝのへはよろづ代の春」。

中務卿尊良親王、

  「のどかなる雲ゐの花の色にこそよろづ代ふべき春は見えけれ」。

帥御子世良、

  「百敷の御がきの櫻さきにけりよろづ代ふべき千世のかざしに」。

つぎつぎおほかれどもむつかし。やよひの頃春日の社に行幸したまふ。例のいみじき見ものなれば棧敷どもえもいはずいどみつくしたり。其の後日吉の社にも參らせ給ひき。今年も人おほくにはかやみして死ぬる中に、帥の御子重くなやませ給ひていとあへなくうせ給ひぬ。內のうへおぼし歎く事おろかならず。一の御子よりも御ざえなどもいとかしこくよろづきやうざくに物し給へれば、今より記錄所へも御供に出でさせ給ふ。儀定などいふ事にも參り給ふべしと聞えつるにいとあさまし。御めのとの源大納親房、我が世盡きぬる心ちしてとり