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などあけぬぞと問へ」となにがしのぬしのわらは殿上したるが御供なるに仰せられければ、あきたる所やあるとこゝかしこ見給ひけれど、さるべき方は皆たてられて、ほそどのゝ口のみあきたるに人のけはひしければ、よりてかくとのたまひければ、いらへはともかくもせでいみじく笑ひければ、參りてありつるやうを奏しければ、御門もうち笑はせ給ひて、「例のことなり」と仰せられてぞ歸り渡らせおはしましける。このわらはゝ伊賀の前司資國がおほぢなり。藤壺弘徽殿とのうへの御局はほどもなく近きに、藤壺の方には小一條の女御、弘徽殿の方にはこの后のぼりておはしましあへるを、いと安からず思しめして、えやしづめ難くおはしましけむ、中へだての壁に穴をあけてのぞかせ給ひけるに、女御の御かたちの〈八宮の御母よ。御かたちは今少しよろしくとも世のつねの子をうみ給へる。〉いと美しうめでたくおはしければ、うべ時めくにこそありけれと御覽ずるに、いとゞ心やましくならせ給ひて、穴より通るばかりのかはらけのわれして打たせ給へりければ、御門のおはします程にて〈かの女御の御袂のうへにかはらけのわれ當れり。〉こればかりにはえ堪へさせ給はず、むづかりおはしまして、「かうやうの事は女房はえせじ。これまさ、兼通、兼家などがいひもよほしてせさするならむ」とおほせられて、皆殿上にさぶらせ給ふ程なりければ、みところながら御かしこまりになり給ひしかば、この折に后いとゞ大きに腹だゝせ給ひて、「渡らせ給へ」と申させ給へれば、思ふにこの事ならむと思しめして渡らせ給はぬを、度々なほなほと御せうそこありければ、渡らずばいとゞこそむづからめと恐しくいとほしく思しめしておはしましたるに、「いかでかゝる事はせさせ給ひたるぞ。いみじからむさかさまの罪ありともこの人々をばおぼし免すべきなり。いはむやまろが方ざまにてかくせさせ給ふは