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大鏡卷之四

   右大臣師輔

   關白次第

   世續名

     右大臣師輔九條殿

このおとゞは忠平のおとゞの御二郞君、御母右大臣源能有の御女〈この有能は田村帝の親王。〉いはゆる九條殿におはします。公卿にて廿六年、大臣の位にて十四年ぞおはしましゝ。天祿二年五月二日出家せさせたまひにき。御年五十三にて御孫にて春宮又四五宮を見おき奉りて隱れたまひけむは極めて口をしき御事ぞや。御年まだ六十にもたらせ給はねば、行く末遙にゆかしき事多かるべきほどにて」」と世繼せめてさゝやぐものから手をうちてあふぐ。「「その殿の御公達十一人、女五六人ぞおはせし。第一の御女は村上の先帝の御時の女御、多くの女御御息所の中に勝れてめでたくおはします。天德二年十二月廿六日后に立たせ給ふ。皇后宮と申しき。御年三十二。御門もこの女御殿にはいみじう心おき申させ給ひき。ありがたき事をも奏せさせ給ふ事をば、いなびさせ給ふべくもあらざりけり。いはむや自餘の事をば申すべきならず。少し御心さがなく、御物うらみなどもせさせ給ふやうにぞ世の人にいはれおはしましゝ。御門をも常にふすべ申させ給ひて、いかなる事のありける折にか、夕さり渡らせおはしましたりけるを、御格子を叩かせ給ひけれどあけさせ給はざりければ、叩きわづらはせ給ひて「女房に