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り御調度などは更にもいはず、帝釋の宮殿もかくやと、七寶を集めて磨きたるさま目も耀く心ちす。いとあらまはしき御有樣なるべし。關の東を都の外とておとしむべくもあらざりけり。都におはしますなま宮だちのより所なくたゞよはしげなるにはこよなくまさりて、めでたくにぎはゝしく見えたり。時宗朝臣といひしも又頭おろして法〈寬イ〉光寺の入道とていとたふとく行ひて世にもいろはず、太郞貞時相模の守といふにぞ萬いひつけゝる。さてものぼり給ひにし前大將殿は嵯峨のほとりに御ぐしおろし、いとかすかに寂しくてぞおはしける。かくて年かはりぬれば、その年きさらぎの頃一院御ぐしおろし給ふ。年月の御本意なれどたゆたひ過し給ひけるに、禪林寺殿去年の秋思し立ちにしに、いとゞ驚かされ給ひぬるにやありけむ。二月十一日龜山殿にて御いむ事うけさせ給ふ。四十八にぞならせ給ふ。御法名素實と申すなり。む月の朔日節會などはてゝ夕つ方、內のうへ皇后宮の御方へ渡らせ給へれば、中宮は濃き紅梅の十二の御ぞにおなじ色の御ひとへ、紅のうちたる萠黃の御上着、ゑび染の御小袿、花山吹の御唐衣、からの薄物の御裳けしきばかりひきかけて御ぐしぞ少しうすらぎ給へれどいとなよびかに美くしげにて、常より殊に匂加はりて見え給ふ。御まへに御匣殿、花山院內大臣師繼のむすめ、二藍の七つに紅のひとへ、紅梅のうはぎ、赤色の唐衣、地摺の裳、髮うるはしく上げて侍ひ給ふ。かんざしやうだい、これもけしうはあらず見ゆ。新しき年の御悅など少し聞え給ひて例のたゞならぬ御事どもうちさゞめきがちにて、これより公守の大納言のむすめの曹子さしのぞかせ給へば、いとさゝやかにて衣がちにて花櫻のあはひにほは