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御あやまりもおはしまさゞらむ。いかでかは忽ちに名殘なくはものし給ふべき。いとたいだいしきわざなり」とて新院へも奏し、かなたこなたなだめ申して東の御方の若宮を坊に立て奉りぬ。十一月五日節會行はれていとめでたし。かゝれば少し御心なぐさめてこのきはゝしひて背かせ給ふべき御道心にもあらねばおぼし留まりぬ。これぞあるべき事とあいなう世人も思ひいふべし。御門よりは今二つばかりの御このかみなり。まうけの君御年まされるためし遠きむかしはさておきぬ、近頃は三條院、小一條院、高倉院などや坐しましけむ。高倉院の御末ぞ今もかく榮えさせおはしませばかしこきためしなめり。いにしへの天智天皇と天武天皇とはおなじ御腹の御はらからなり。その御末しばしはうちかはりうちかはり世をしろしめしゝためしなどをも思ひや出でけむ、御二流れにて位にも坐しまさなむと思ひ申しけり。新院は御心ゆくとしもなくやありけめど、大方の人めには御中いとよくなりて御消息も常にかよひ、上達部などもかなたこなた參り仕うまつれば大宮院もめやすくおぼさるべし。まことや文永のはじめつ方下り給ひし齋宮は後嵯峨院の更衣ばらの宮ぞかし。院かくれさせ給ひて後御ぶくにており給へれど、猶御暇ゆりざりければ三とせまで伊勢におはしましゝが、この秋の末つかた御のぼりにて仁和寺に衣笠といふ所にすみ給ふ。月花門院の御次にはいとらうたく思ひ聞え給へりし昔の御心おきてをあはれにおぼしいでゝ、大宮院いとねんごろにとぶらひ奉り給ふ。龜山殿におはします。十月ばかり齋宮をもわたし奉り給はむとて本院にも入らせ給ふべきよし御せうそこあれば、めづらしくて御幸あり。その夜は女院