Page:Kokubun taikan 07.pdf/634

提供:Wikisource
このページは校正済みです

きにて心づよからず。今年三十三にぞおはします。故院の四十九にて御ぐしおろし給ひしをだにさこそは誰も誰も惜み聞えしか。東の御方もおくれ聞えじと御心づかひしたまふ。さならぬ女房上達部の中にもとりわきむつまじうつかまつる人三四人ばかり御供つかまつるべき用意すめれば、ほどほどにつけて私も物心ぼそう思ひ歎く家々あるべし。かゝる事どもあづまにも驚き聞えて、例の陣のさだめなどやうに、これかれあまた武士どもよりあひよりあひ評定しけり。この頃はありし時賴朝臣の子時宗相摸守といふぞ世の中はからふぬしなりける。故時賴朝臣は康元元年に頭おろしてのち忍びて諸國を修行しありきけり。それも國々のありさま人の愁など委しくあなぐり見聞かむの謀にてありける。あやしのやどりに立ちよりてはその家ぬしがありさまを問ひ聞き、ことわりある愁などのうづもれたるを聞きひらきては「我はあやしき身なれど、むかしよろしき主をもち奉りし。いまだ世にやおはすると消息奉らむ。もてまうでゝ聞え給へ」などいへば、なでふ事なき修行者の何ばかりかはとは思ひながら、いひあはせてその文をもちてあづまへ行きて、しかじかと敎へしまゝにいひて見れば入道殿の御消息なりけり。「あなかまあなかま」とて永く愁なきやうにはからひつ。佛神のあらはれ給へるかとて皆ぬかをつきて悅びけり。かやうの事すべて數しらずありしほどに國々も心づかひをのみしけり。最明寺の入道とぞいひける、それが子なればにや今の時宗朝臣もいとめでたきものにて、本院のかく世をおぼし捨てむずるいとかたじけなく哀なる御事なり。「故院の御おきてはやうこそあらめなれど、そこらの御このかみにて、させる