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れも中宮の御ためかとはしからぬにはあらねど、いかでかさのみはあらむと西園寺ざまにぞ〈はイ〉一方ならずむすぼゝれ、すさまじう聞き給ひける。

     第十 あすか川

ひまゆく駒のあしにまかせて文永も五年になりぬ。正月二十日本院のおはします富小路殿にて今上の若宮御いかきこしめす。いみじうきよらを盡さるべし。今年正月に閏あり。後の二十日あまりの程に冷泉院にて舞御覽あり。明けむ年一院いそぢにみたせ給ふべければ御賀あるべしとて、今より世のいそぎにきこゆ。樂所はじめの儀式は內裏にてぞありける。試樂廿三日と聞えしを雨降りて明くる日つとめて人々參りつどふ。新院はかねてより渡らせ給へり。寢殿の御階の間に一院のおましまうけたり。その西によりて新院の御座をまうく。東は大宮院、東二條院、皆白御袴に二つ御ぞ奉れり。聖護院の法親王、圓滿院僧正など參り給ふ。土御門の中務の宮もまゐり給ふ。上達部殿上人あまた御供したまへり。仁和寺御室、梶井の法親王などもすべて殘りなくつどひ給ふ。月花門院、花山院准后などは大宮院のおはします御座に御几帳おしのけて渡らせ給ふ。寢殿の第四の間に袖口ども心ことにておしいださる。大納言の二位殿南の御方などやんごとなき上﨟は院のおはします御簾の中にひきさがりてさぶらひ給ふ。何れも白き袴に二つぎぬなり。東のすみの一間は、大宮院、月花門院の女房ども參りつどふ。西の二間に新准后さぶらひたまふ。御前の簀子に關白殿をはじめて右大臣、內大臣、兵部卿隆親、二條大納言良敎、源大納言通成、花山院大納言師繼、右大將道雅、權大納言