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紺むらごの指貫をさへぞきたりける。それしもめづらかにて、賤しくも見え侍らざりけるとかや。院の御さまかたち事がらは、いとゞ光をそへてめでたく見え給ふ。後土御門の內大臣定通の御子あきさだの大納言、大將望み給ひしを、院もさりぬべくおほせられければ、除目の夜殿の內の者どもゝ心づかひして侍るを、心もとなく思ひあへるに引きたがへて、先に聞えつるきんもとのおとゞにておはせしやらむなり給へりしかば、うらみに堪へず頭おろして、この高野にこもり居給へるを、いとほしくあへなしとおぼされければ、今日の御幸のついでにかの室を尋ねさせ給ひて、御對面あるべく仰せられつかはしたるに、昨日までおはしけるが、夜の間にかの庵をかきはらひ跡もなくしなして、いと淸げに白きすなごばかりをこと更にちらしたりと見えて人もなし。我が身はかつらのはむろの山莊へ逃げのぼり給ひにけり。そのよし奏すれば「今さらに見えじとなり。いとからい心かな」とぞのたまはせける。かくのみところどころに御幸しげう御心ゆく事ひまなくて、いさゝかもおぼしむすぼるゝ事もなくめでたき御ありさまなれば、仕うまつる人々までも思ふ事なき世なり。吉田の院にても常は御歌合などしたまふ。鳥羽殿にはいと久しくおはしますをりのみあり。春の頃行幸ありしには御門も御まりにたゝせ給へり。二條の關白〈よしざね〉あげまりし給ひき。內の女房などめして池の御船にのせて物の音ども吹きあはせ、さまざまのふ流のわりご引出物などこちたき事どもゝしげかりき。又嵯峨の龜山のふもと、大井川の北の岸にあたりてゆゝしき院をぞ造らせ給へる。小倉の山の木ずゑ戶灘瀨の瀧もさながら御墻のうちに見えて、わざとつく