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ろはぬせん栽もおのづからなさけを加へたる所がら、いみじき繪師といふとも筆及びがたし。寢殿のならびにいぬゐにあたりて西に藥草院、東に如來壽量院などいふもあり。橘の大后のむかし建てられたりし壇林寺といひし、今ははゑして礎ばかりになりたれば、其跡に淨金剛院といふ御堂を建てさせ給へるに、道觀〈覺イ〉上人を長老になされて、淨土宗をおかる。天王寺の金堂うつさせ給ひて多寳院とかや建てられたる。川に望みてさじき殿造らる。大多勝院と聞ゆるは、寢殿のつゞき御持佛すゑ奉らせ給へり。かやうの引き離れたる道は、廊渡殿そり橋などをはるかにして、すべていかめしう三葉四葉に磨きたてられたるいとめでたし。正元元年三月五日西園寺の花ざかりに大宮院一切經供養せさせ給ふ。年比おぼしおきてけるをもいたくしろしめさぬに、女の御願にていとかしこくありがたき御事なれば、院も同じ御心にい〈ゐイ〉だちのたまふ。がくやのものども地下も殿上もなべてならぬをえりとゝのへらる。その日になりて行幸あり。春宮もおなじく行啓なる。大臣上達部皆うへのきぬにて、左右に別ちて御はしの間の高欄につき給ふ。法會の儀式、いみじさ〈くイ〉めでたき事どもまねびがたし。又の日御前の御遊び始まる。御門〈後深草院〉御琵琶〈なりイ有〉春宮御笛、まだいとちひさき御程にびんづらゆひて、御かたちまほに美くしげにて、吹きたて給へる音の雲ゐをひゞかしてあまりおそろしき程なれば天つをとめもかくやとおぼえて、おほきおとゞ〈實氏〉こといみもえし給はず、目おしのごひつゝためらひかね給へるを、ことわりにおいしらへる大臣上達部など皆御袖どもうるほひわたりぬ。女院の御心のうち、ましておき所なくおぼさるらむかし。さきの世に