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  「思ひやれみかさの山のふぢの花さきならべつゝ見つるこゝろを」。

かゝる御家のさかえを自らもやんごとなしとおぼし續けてよみ給ひける、

  「春雨は四方の草木をわかねどもしげきめぐみはわが身なりけり」。

正嘉元年春の頃より承明門院御惱み重らせ給へば、院もいみじう驚かせ給ひて、御修法なにかと聞えつれど、遂に七月五日御年八十七にてかくれさせ給ひぬ。ことわりの御年のほどなれど、昔の御なごりと哀にいとほしういたづき奉らせ給へるに、あへなくて御法事などねんごろにおきてのたまはするいとめでたき御身なりかし。あくる年八月七日二の御子〈龜山の院〉坊に居給ひぬ。御年十なり。よろづ定りぬる世の中めでたく心のどかにおぼさるべし。その又の年正嘉三年三月二十日なりしにや、高野御幸こそ、又こし方行く末もためしあらじと見ゆるまで世のいとなみ天の下のさわぎには侍りしか。關白殿、左〈前イ〉右大臣、內大臣、左右の大將、檢非違使の別當をはじめて殘るはすくなし。馬鞍、隨身、舍人、雜色、わらはの髮かたちたけすがたまで、かたほなるなくえりとゝのへ心を盡したるよそひども、かずかずは筆にも及びがたし。かゝる色もありけりと珍しく驚かるゝほどになむ。しろがねこがねをのべ、二重三重の織物ぬひ物、からやまとの綾錦、紅梅のなほし、櫻のからの木のもんこすそご、ふせんりよう、いろいろさまざまなりし。うへのきぬ、狩衣、思ひ思ひのきぬをいだせり。いかなる龍田姬の錦も、かゝるたぐひはありがたくこそ見え侍りけれ。かたみに語らふ人はあらざりけめど、同じ紋も色も侍らざりけるぞふしぎなる。あまりに染め盡して、なにがしの中將とかや、