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宮の中のしつらひ、御まうけの事などかぎりあれば善見天の珠妙のしやうごんもかくやとぞ覺えける。かやうにて今年はくれぬ。明くる年は建長五年なり。正月十三日御門御かうぶりし給ふ。御年十一。御いみな久仁と申す。いとあてにおはしませど、あまりさゝやかにて又御こしなどのあやしく渡らせ給ふぞ口をしかりける。いはけなかりし御ほどはなほいとあさましうおはしましけるを、閑院內裏燒けゝるまぎれよりうるはしくたゝせ給ひたりければ、內の燒けたるあさましさは何ならず。この御こしのなほりたるよろこびをのみぞ上下おぼしける。院のうへ鳥羽殿におはします頃神無月の十日頃朝觀の行幸し給ふ。世にあるかぎりの上達部殿上人仕うまつる。いろいろの菊紅葉をこきまぜて、いみじうおもしろし。女院もおはしませば拜し奉り給ふを、大きおとゞ見奉り給ふに、喜びの淚ぞ人わろきほどなる。

  「ためしなき我が身よいかに年たけてかゝるみゆきに今日つかへつる」。

げに大かたの世につけてだに、めでたくあらまほしき事どもを、我が御末と見給ふおとゞの心ちいかばかりなりけむ。來し方もためしなきまで高麗唐土の錦綾をたちかさねたり。大きおとゞばかりぞねび給へれば、裏表白き綾の下がさねを着給へるしもいとめでたくなまめかし。池にはうるはしくからのよそひしたる御船二艘漕ぎよせて、御遊さまざまの事どもめでたくのゝしりて歸らせ給ふひゞきのゆゝしさを、女院も御心ゆきてきこしめす。その頃ほひ熊野の御幸侍りしにもよき上達部あまた仕うまつらる〈一字せ給ふ〉。都いでさせ給ふ日、例のぎしき〈さじきイ〉花など心ことにいどみかはすべし。車は立てぬ事なりしかど、大宮院ばかりそれも出車は