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なくて、唯一輛にて見奉り給ひしこそ、やんごとなさもおもしろく侍りけれ。辨の內侍、

  「おりかざすなぎの葉風のかしこさにひかりみちぬる小車のあと」。

御幸熊野の本宮につかせ給ひて、それより新宮の川船に奉りてさしわたすほど、川のおもて所せきまで續きたるも御覽じなれぬさまなれば、院のうへ、

  「熊野川せきりにわたすすぎぶねのへなみに袖のぬれにけるかな」。

その後も又ほどなく御幸ありしかば女院もまゐり給ひけり。皆人しろしめしたらむ。なかなかにこそ。

     第六 おりゐる雲

春すぎ夏たけ〈てイ有〉年さりとしきたれば、康元元年にもなりにけり。おほきおとゞの第二の御むすめ〈東二條院〉女御にまゐりたまふ。女院の御はらからなれば、すぐし給へる程なれど、かゝるためしはあまた侍るべし。十二〈一イ〉月十七日豐のあかりのころなれば內わたり華やかなるにいとゞうちそへて今めかしうめでたく、その日御せうそこを聞えたまふ。

  「夕ぐれに〈をイ〉まつぞ久しき千とせまでかはらぬ色のけふのためしを」。

關白かゝせ給ひけり。紅の匂の薄〈一字はなイ〉もなき八重にかさねたるを結びて包まれたり。時ならぬとて人々まうのぼりあつまる。女御の君裏濃きすはう七、濃き一重すはうのうはぎ赤色のからぎぬ、濃きはかま奉れり。じゆごうそひてまゐり給ふ。皆くれなゐのは萠黃のうはぎ、赤色のからぎぬきたまふ。いだし車十輛皆二人づゝのるべし。一の左車に一條殿〈大殿のすむめ〉、右に二