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るもなのめなり。大方御本性もなごやかにらうらうしく、御かたちもまほに美くしうとゝのほりて、はたちに三つばかりや餘らせ給ふらむ、若う盛の御程に、御才などもやまともろこしたどたどしからず、何事につけてもいとあたらしう坐しませば、世の人の惜み聞ゆるさま限なし。唯くれ惑へる心ちどもなり。後堀川院とぞ申しける。故宮の御はてだにすぎず、又とりかさねて諒闇の三とせまでにならむことを、いとまがまがしくゆゝしと皆人思ふべし。御契の程のあはれさもいとありがたくなむ。御禊大甞會などもいとゞのびぬ。唯こゝもかしこもたかきもくだれるも、都も遠きも島々も淚にうき沈みてぞすぐし給ひける。うち續きかくのみ世の中騷がしく、天變もしきりいとあわたゞしきやうなれば又年號かはりて嘉禎元年といふ。まことや三月の末つかたより攝政殿〈のりさねとうゐむ〉重く煩ひ給ふ。故院の御位のほどより大殿の御ゆづりにて關白と聞えしが、御門をさなくおはしませばこの頃は攝政殿と申すなるべし。御かたちも御心ばへもめでたくおはしましつるに、いとあへなくうせ給ひぬれば、大殿の御歎たとへむかたなし。二十六にぞなり給ひける。いと悲しくし給ふ姬君、若君などものし給ふをも、今は峯殿のみ偏にはぐゝみ聞え給ひけり。攝政にも大殿たちかへりなり給ひぬ。かくて三度まつり事ををさめ給ひぬるにや。北の政所の御父はきんつねのおとゞなれば、かの殿とひとつにて世はいよいよ御心のまゝなるべし。今年ぞ御色ども改りぬれば、冬になりて御禊大甞會行はる。さまざまめでたくもあはれにも、いろいろなる都の事どもをほのかに傳へ聞し召して、隱岐にはあさましの年のつもりやと御齡にそへても盡せぬ御なげ