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は天の下やすきそらなく、やまやま、てらでら、社々、御いのりひゞきさわげども御物の怪こはくていみじうあさまし。遂に九月十八日にかくれさせ給ひぬ。その程のいみじさ推し量りぬべし。今年二十五にならせたまふ。若く淸らにうつくしげにて、さかりなる花の御すがた時の間の露と消えはて給ひぬるはいはむ方なし。殿うへおぼしまどふさまかなしともいへばさらなり。院にさぶらふ民部卿典侍ときこゆるは定家中納言のむすめなり。この宮の御方にもけぢかうつかうまつる人なりけり。かぎりなく思ひしづみて頭おろしぬ。いみじうあはれなる事なり。人の問へる返事に、

  「悲しさはうき世のとがとそむけどもたゞこひしさのなぐさめぞなき」。

當代の御母后にておはしつれば、天下皆ひとつすみぞめにやつれぬ。この御なげきにいよいよ院はしづみまさらせ給ひて、うち絕えて御遊などをだに御覽じいるゝ事なくて月日つもらせ給へば、御修法どもいとこちたく、やまやま寺々殘りなくつとめのゝしる。くすしおんみやうし祭祓など天の下騷ぎみちたり。又年號かはりぬ。文曆元年といふ。承久の廢帝十七になり給へるも五月二十日にうせ給ひぬ。いと若き御程に、いといとほしうあたらしき御年なりかし。隱岐にもうち續き哀なる事どもを聞し召し歎くべし。佐渡にはまして心うくあさましとおぼさる。この御さしつぎの宮猶おはしますは、修明門院養ひ奉らせ給ふめり。かくいひしろふほどに院の御惱み日々におもくならせ給ひて、八月六日いとあさましうならせ給ひぬ。世のおもしにておはしますべきことの、かくあへなき御ありさま口をしなど聞ゆ