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へをとりて、人の心を進め給ふなどきこえ給ふも、文珠の化身とこそは申すめれ。佛も譬喩經などいひてなき事を作り出だし給ひて說きおき給へるは、虛妄ならずとこそは侍るなれ。女の御身にて、さばかりのことは作り給へるは、たゞ人にはおはせぬやうもや侍らむ。妙音觀音など申すやんごとなきひじりたちの、女になり給ひて、法を說きてこそ人を導き給ふなれ」」といへば、供に具したるわらはの聞きていふやう、「「女になりて導きたまふことは、淨德夫人のみかどを導きて、佛のみもとにすゝめなどし給ひ、勝鬘夫人の親にふみかはして、佛をほめ奉りて、世の末までも傳へなどし給ふこそ、普門の示現などもおぼえめ。これはをとこ女のえんなることをげにげにとかきあつめて、人の心にしめさせむ、なさけをのみ盡さむことは、いかゞは、たふときみのりとも思ふべき」」といへば、「「誠に然はあれども、事ざまのなべてならぬ、めでたさの餘りに思ひつゞけ侍れば、物語などいひて、ひと卷ふた卷のふみにもあらず、六十帖などまで作り給へるふみの、少しあだにかたほなることもなくて、今も昔もめでもてあそび、みかどきさきよりはじめて、えならずかきもち給ひて、御寳物とし給ひなどするも世にたぐひなく、また罪ふかくおはすると世に申しあへるにつけても、なかなかあやしくおぼえてこそ申し侍れ。罪ふかきさまをもしめして、人に佛のみなをも唱へさせ、とぶらひ聞こえむ人の爲に、導き給ふはしとなりぬべく、なさけある心ばへをしらせて、うき世に沈づまむをも、よき道に引きいれて、世のはかなき事を見せて、あしき道を出だして佛の道にすゝむ方もなかるべきにあらず。其の有樣、思ひつゞけ侍るに、あるは別れをい