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たみて優婆塞の戒をたもち、あるは女のいさぎよき道を守りていさめごとに違はず、この世を過ぐしなどし給へるも、人の見ならふ心もあるべし。又みかどの覺えかぎりなくてえならぬ宿世おはすれども、夢まぼろしの如くにてかくれ給へるなど、世のはかなきことを見む人思ひしりぬべし。又みかどの位をすてゝ、おとうとに讓り給ひて、西山の麓に住み給ふなども、佛の道に入りたまふ、深きみのりにもかよふ御有樣なり。提婆品に說かれ給へる、昔のみかどの御有樣も思ひ出でられさせ給ふ。ひとへに、をとこ女のことのみやは侍る。おほかたは智惠をはなれては、間にまどへる心をひるがへす道なし。惑ひの深きによりて、うき世の海のそこひなきにはたゞよふわざなりとぞ、世親菩薩のつくり給へる文のはじめつ方にものたまはすなれば、ものゝ心を辨へ、悟りの道にむかひて、佛のみのりを廣むる種として、あらきことばもなよびたる詞も、第一義とかにもかへしいれむは佛の御志なるべし。かくは申せども、濁りにしまぬ法のみことならねば、露霜とむすびおき給へることの葉もおほく侍らむ。のりのあさ日によせて、たれもたれもなさけ多く、おはしまさむ人は、もてあそばせ給はむにつけても、心にしめておぼさむによりても、とぶらひ聞こえたまはむぞいとゞ深きちぎりなるべき」」などいひつゞけ侍るに、行く末も忘れてなほきかまほしく、なごり多く侍りしかども、日くれにしかばたち別れ侍りにきいかでか又あひ奉らむずる。「「來む世にうゑきのもとに佛となりて、これがやうにのり說きて、人々に聞かせ奉らばや」」など申しゝこそ唯人とも覺え侍らざりしか。その程と申しゝ所尋ねさせ侍りしかども、え又もあはでなむ。人を