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は、こまかにきゝとゞむべきにも侍らず。しかは侍れど、憶良が類聚歌林などには、遙かなる人とみえてこそ、萬葉にはひきのせ侍るなれ。天平五年歌にも、筑前守憶良などいひて侍るなるは、遙かに先の人にこそ侍るなれ。大同にはあらずや侍りけむ」」などぞ〈如元〉申すめりしか。

     作物語のゆくへ

又ありし人の、「「誠にや、むかしの人の作り給へる源氏の物語に、さのみかたもなきことのなよび艷なるを、もしほ草かきあつめ給へるによりて、後の世のけぶりとのみ消え給ふこそ、えんにえならぬつまなれども、あぢきなくとぶらひ聞こえまほしく」」などいへば、返事には、「「誠に世の中にはかくのみ申し侍れど、ことわり知りたる人の侍りしは、やまとにももろこしにもふみつくり、人の心をゆか〈るイ〉し、暗き心を導くは常のことなり。妄語などいふべきにはあらず。わが身になきことをあり顏に、げにげにといひて、人にわろきみを思はせなどするこそ、そらごとなどはいひて、罪うることにてはあれ。これはあらましことなどやいふべからむ。綺語とも雜穢語などはいふとも、さまで深き罪にはあらずやあらむ。生きとしいける者の命を失ひ、あるとしある人の寶を奪ひとりなどする、深き罪あるも、奈落の底に沈むらめども、いかなる報いありなど聞こゆることもなきに、これは却りて怪しくもおぼゆべき事なるべし。人の心つけむことは功德とこそなるべけれ。なさけをかけ、艷ならむによりては、輪廻のごふとはなるとも、奈落に沈む程のことやは侍らむ。此の世のことだに知りがたくはべれど、もろこしに白樂天と申したる人は、なゝそぢの卷き物をつくりて、詞をいろへたと