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給ひければ、五壇の御修法にみかどあはせ給ひて、御覽じけるに、「阿闍梨の印をむすびて定に入りたるとは見ゆれどももとの姿にてこそはあれ」と仰せられければ「誠に本尊になりて侍るを、御さはりものぞこらせたまひ、御功德も重ならせおはしましなば、御覽ぜさせ給ふこともおはしましなむ」と申し給ひけるに、たびたび重なりて御覽じければ、大僧正不動尊のかたち、本尊と同じやうになりてけしやきして居給ひたりけるに、廣澤の僧正も又降三世になりたまひたりけるが、程なく例の人になり又佛になりなどし給ひけり。いま三人は、元のさまにて佛にもならず。かく御覽じて後に大師まゐり給へりけるに、「誠にたふとき事を拜みつることのよに有り難き」と仰せられて、「寬朝こそいとほしかりつれ。心の亂れつるにや、ほどなく姿のもとの樣になりかへりつる」と仰せられければ、大師の申したまひけるは、「寬朝なればまかりなるにこそ侍れ」とぞ奏し給ひける。

禪林寺の僧正ときこえ給ひけるが、宇治のおほきおとゞにやおはしけむ。時の關白殿のもとに消息たてまつりて、「法藏のやぶれて侍る、修理して給はらむ」と侍りければ、家の司何のかみなどいふうけ給はりて、下家司などいふ者つぎがみ具して、僧正の坊にまうでゝ、「殿より法藏修理つかまつらむとて、破れたる所々記しになむ參りたる」と申しければ、僧正呼びよせ給ひて、「いかにかく不覺にはおはするぞ。おほやけの御後見もかくてはいかゞし給ふと申せ」とはべりければ、還り參りて、「しるしに詣で侍りつれどもいづくなる法藏とも侍らず。いかに心得ぬやうには侍るぞ。おほやけの御後見も、いかやうにか御さた候ふらむなど