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思ひかけず心得ぬ御返事なむのたまはせつる」と申しければ「こはいかに、さはいかにすべきぞ」など仰せられければ、年老いたる女房の、「あれは御はらのそこなはせ給へるを、みのりのくらとは侍るものを」と申しければ、「さもいはれたることさもあらむ」とてまなの御あはせども調へて奉り給へりければ、「材木給はりて、やぶれたる法藏つくろひ侍りぬ」とぞきこえたまひける。此の頃の人ならば關白殿に申さずとも、隱して給ふこと、僧井〈いイ〉しなどいふものに心あはせて、調へさせらるべけれども、かく申され侍りとかや。かの僧正大二條殿の限りにおはしましけるに參り給ひて、「圍碁うたせ給へ」と申し給ひければ、いかにあさましき事など侍りけれど、あながちに侍りければ、やうぞあらむとて碁盤とりよせかきおこされたまひてうたせ給ひけるほどに、御はらのふくれへらせ給ひて、一番がほどに例ざまにならせ給へりける、いとありがたき驗者に侍りけり。經などよみ、祈り申しなどせさせ給はむだに、かた時の程にめでたく侍るべきに、碁うちてやめ申させ給ひけむもたゞ人にはおはせざるべし。

むかし勘解由長官なりける宰相の、まだ下﨟におはしける時、親の豐前守にて筑紫に下りける供にまかりたりけるに、その父國にてわづらひて失せにけるを、その子の父の爲に、泰山府君の祭といふ事を法の如くに祭のそなへどもとゝのへて祈りこひたりければ、その親生きかへりて語られ侍りけるは、炎魔の廳に參りたりつるに、云ひしらぬ備へを奉りけるによりて、返し遣はすべき定めありつるに、その中に、「親の輔通をば返しつかはして、そのかは