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仰せられて、くらのかみ調へて、さまざまの天の羽衣たまはりてぞまゐりつかへける。その作りたる詩は、釋奠とかに、鶴九つのさはになくといふ題の序をかきたりけるとぞ。詞をば覺えず。その心はめぐりかけらむことを蓬が島にのぞめば霞の袖いまだあはず。ひく人やあると淺茅が山に思へば、霜のうはげ、いたづらに老いにたりといふ心なり。又村上のみかど、かの大納言に、「われなからむ世に、忘れず思ひ出ださむずらむや」などのたまはせければ、「いかでかつゆわすれ參らせはべらむ」と答へ申されけるを、「折節には思ひ出だすとも、いかでか常にはわすれざらむ」と仰せられければ、「御ぶくをぬぎ侍らで、この世をおくり侍らむずれば、かはらぬ袂の色に侍らば忘れ參らすまじきつまには侍るべき」と奏し給ふ。誠にその契りにたがはずおはしければ、後のみかどの御時も、色ながら事に從ひ給ひけるを御らんじて、御淚も押へあへず悲しませ給ひけるとぞ。かの大納言の夢に先帝を見たてまつりて、作り給へる詩きこえ侍りき。「夢のうちにもし夢のうちのことをしらましかば、たとひこの生を送るとも早くはさめざらまし」とぞおぼえ侍る。「夢としりせばさめざらましを」といふ歌の同じ心なるべし。

     祈るしるし

圓融院の御時にや、橫川の慈惠大僧正參り給へりけるに、眞言の行ひの時、「行者の本尊になることは、あるべきさまをすることにや、又誠に佛になることにてあるか」と問はせ給ひければ、「その印をむすびて眞言を唱へ侍らむには、いかでかならぬやうは侍らむ」と答へ申し