Page:Kokubun taikan 07.pdf/493

提供:Wikisource
このページは校正済みです

村上の御時、枇杷の大納言延光、藏人の頭にて御おぼえおはしけるに、少し御けしきたがひたることもおはせで過ぎ給ひけるに、心よからぬ御けしきの見えければ、あやしく恐れおぼしてこもりゐ給へりける程に、めしありければいそざ參りておはしけるに「年ごろはおろかならずたのみて過ぐしつるに、くちをしきことは、藤原雅材といふ學生の作りたるふみのいとほしみあるべかりけるをば、など藏人になるべきよしをば奏せざりけるぞ。いと賴むかひなく」と仰せられければ、ことわり申す限なくて、やがて仰せ下されけるに、みくらの小舍人家を尋ねてかねて通ふ所ありときゝて、その所に至りて藏人になりたるよし吿げゝれば、その家あるじのむすめの男、所の雜色なりけるが、藏人にのぞみかけゝるをりふしにて、我がなりぬると喜びて祿など饗應せむ料に、俄に親しきゆかりども呼びて營みけるほどに、小舍人、「雜色どのにはおはせず。秀才殿のならせたまへるなり」と云ひければ、あやしくなりて、家あるじ「いかなる事ぞ」とたづねけるに、雜色がめの姉かおとうとかなる女房のまかなひなどしけるを、この秀才しのびて通ひつゝ、局に住みわたりけるを、「かゝる人こそおはすれ」と家の女どもいひければ、「よもそれは藏人になるべきものにはあらじ。ひがことならむ「と謂ひければ〈どイ〉、小舍人「その人なり」といひければ、雜色も家あるじも耻ぢがましくなりて、「かゝる者かよふにより、かゝることは出でくるぞ」とて、夜のうちにその局のしのびづまを追ひ出だしてけり。その事をいかでか雲の上まできこしめしつけゝむ、「いとほしきことかな。さては出で仕うまつらむに、裝ひの然るべきも叶ひがたくやあらむ」とて、くらつかさに