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しこくかたはらいたくも侍るべきかな」」。


今鏡第九

    むかしがたり

     あしたづ

「「今の世のことは人にぞ問ひ奉るべきを、よしなきこと申しつゞけ侍るになむ」」などいへば、「「さらば昔語りも猶いかなる事か聞き給ひし。語り給へ」」といふに、「「おのづから見きゝ侍りし事も、ことのつゞきにこそ思ひいで侍れ。且はきゝ給へりし事もたしかにも覺え侍らず。傳へうけ給はりしことも思ひ出づるにしたがひて申し侍りなむ。かたちこそ人の御覽じ所なくとも、いにしへの鏡とはなどかなり侍らざらむ」」とて、むかし淸和のみかどの御時、かたがた多くおはしける中に、ひとりの御息所の太上法皇かくれさせ給へりける時、御經供養して佛の道とぶらひ奉られけるに、御法かきたまへりける色紙の色の、ゆふべのそらのうす雲などのやうに、墨染なりければ、人々怪しく思ひけるに、むかし賜はりたまへりける御ふみどもを色紙にすきて、御法の料紙になされたりけるなりけり。それよりぞ多く色紙の經は、世に傳はれりけるとなむ。かきとゞめられたるふみなども侍らむものを、橘の氏贈中納言ときこえ給ひし宰相の日記にぞこの事はかゝれたると聞こえ侍りし。