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     志賀のみそぎ

春宮大夫の御すゑのかく榮え給ふことも、みかどの御ゆかりなれば、女院の御ことこそ申し侍るべけれど、その御有樣はさきに申し侍りぬ。その生み奉りたまへる宮々は一の御子は讃岐の院におはします。二の御子は御目くらくなり給ひて、幼くてかくれ給ひにき。三の御子は若宮と申しておはしましゝ、幼くよりなえさせ給ひて、起きふしも人のまゝにて、ものも仰せられでおはしましゝ。十六にて御ぐしおろさせ給ひて、うせさせ給ひにき。御みめもうつくしう、御ぐしも長くおはしましけり。むかし朝綱の宰相の日本紀の歌に、

  「たらちねはいかにあはれと思ふらむ三とせに成りぬ足たゝずして」

とよまれたるも、蛭子におはしましける。宮の如くこそは聞こえさせたまへ。昔もかゝる類ひおはせぬにはあらぬにや。嵯峨の帝の御子に、隱君子と申しける御子は御身にいかなることのおはしけるとかや。さて嵯峨にこもりゐ給ひて、ひきものゝうちにたれこめて人にも見え給はでわらはにてぞおはしける。此の頃ならば法師にぞなり給はまし。昔はかくぞおはしける。心もさとくいとまもおはするまゝによろづの文を披き見給ひければ、身の御ざえ人にすぐれ給ひておはしましけるに、やんごとなき博士のみちを遂げ給ひける時、廣相の宰相と聞こえける人の、かの博士になり給ひけるに、小屋とかいふ所たちよりとぶらひ奉られけるに、難きこと侍りけるをば、駒をはやめてかの嵯峨に詣でゝぞ問ひ奉りける。みかどの御子にも、かやうなるさまざまおはしけり。これは、佛の道に入らせたまひたれば、後の世の契は