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むすばせ給ふらむ。この宮あかごにおはしましける時、絕えいり給へりければ、行尊僧正祈り奉られけるに、「白河の院位につき給ふべくは、いきかへり給へ」と仰せられけるほどになほらせ給ひければ、たのもしく人も思ひあへりけるに、そのかひなくおはしましける。いかに侍るにか。なえさせ給ひたりとも、御命は十にあまりておはしますべく、又ひとのしるしもたふとくおはすれば、なほらせ給へども位はべちのことなるべし。第四の御子は今の一院におはします。第五のみこは本仁の親王と申しゝ。わらはより出家し給ひて、仁和寺の法親王と申すなるべし。きさきばらの宮、法師にならせ給ふことありがたきことゝ申せども、佛の道を重くせさせ給ふ。いとめでたきことなるべし。この宮いとよき人におはして、眞言よく習ひ給ひ、御手もかゝせたまひ、詩つくり歌よみなどもよくしたまひき。その御歌多く侍る中に、みのをにこもりて出で給ひけるに、有明の月おもしろかりけるに、

  「このまもる有明の月のおくらずばひとりや秋のみねを越えまし」

とよみ給へるとかや。又、

  「夏のよはたゞときのまもながむればやがて有明の月をこそ見れ」

などよませ給へり。また若くおはせしに、この一二年がさきに、うせさせ給ひにき。四十一二にやおはしけむ。惜しくもおはします御齡に、定めなき世のうらめしきなるべし。又何事も、世におはぬほどの人と聞き奉りしけにや、うせ給はむとてのころ、金泥の一切經かきいだして、高野にて供養し給ひけるに、ひえの山の澄憲僧都を院に申しうけさせ給ひて、導師にて