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て、出で會ひ申されて、「こはいかなることにか」とさわぎければ、「べちの事には侍らず。日ごろ女房のもとへ、ときどき忍びて通ひ侍りつるを、さぶらひの打ちふせむと申すよしうけたまはりて、その怠り申さむとてなむ參りつる」と侍りければ、宮內卿おほきにさわぎて、「この科はいかゞあがひ侍るべき」と申されければ、「べちの御あがひ侍るまじ。彼の女房を賜はりて、出ではべらむ」とありければ、さうなきことにて御車どもの人などは、かちにて門のとに設けたりければ、具して出で給ひけり。女房さぶらひ、すべて家のうちこぞりて、めづらかなることにてぞ侍りける。から國に江都王など申しけむ人も、かくやおはしけむ。大方は心わかくなどおはして、始めて人のむこにおはせしをりも、調度の厨子かきいだして呪師のわらはの、御おぼえなるに給ひなどし給ひけり。上達部になり給ひても、賀茂詣に、檳榔にあをすだれかけなどし給ひし、始めたる事にはあらねども、さやうに好み給ひけるなるべし。わかざかりは左中將とて、すきものやさしき殿上人、名高きにておはしき。五節などには、雲のうへ、皆その御まゝなるやうにぞ侍りける。何れの年にか、五節に藏人の頭たちの舞ひ給はざりければ、殿上人たちはやみていかにぞや歌うたひ給ひけるに、右兵衞の督公行の、まだ別當の兵衞の佐など申しけむ、その人を表におし立てゝ、成通の中將かくれてうたひ給ひけるを、頭の辨うれへ申されたりければ、その折にぞ、御かしこまりにて、しばし籠もりゐ給へりし。白河の院には御いとほしみの人にておはしき。殿上人のうちには、たゞひとり色ゆるされておはすとぞ聞こえし。雪ふりの御幸に、ひきわたのかりごろも〈三字ぎぬイ〉を着給へりとて、