Page:Kokubun taikan 07.pdf/425

提供:Wikisource
このページは校正済みです

こゝろえぬことに仰せらるゝときゝて、資遠とて侍りし檢非違使の、まだわらはにて、御前にも近くつかはせ給ひしに、「わび申すよしきかせ參らせよ」との給ひければ、はかなくうちいだして、「成通こそひきわたの事、かしこまりて申し候へ」と申したりければ、あしよしの御けしきなくて、「誠に奇怪なり」とぞ仰せられける。近衞のすけなどは、かとりうすものなど、花の色、紅葉のかたなど、染めつけらるべかりけるを、ひきわたのあらあらしく、おもほしめしけるにや、讃岐の院のくらゐの御時、十五百の歌、人々によませ給ひけるに、述懷といふ題をよみ給ふとて、

  「白河の流れをたのむ心をばたれかは汲みてそらに知るべき」

と講ぜられける時、むしろこぞりて、あはれと思ひあへりけり。淚ぐむ人もありけるとかや。おほかた、歌なども、をかしくよみ給ひき。かへる雁のうたに、

  「こゑせずばいかでしらまし春霞へだつるそらに歸る雁がね」

とよみ給へるも、淸らかにきこえ侍り。戀の歌どもゝ、「こひせよとても生まれざりけり」また「ふる白雪のかたもなく」など、わが心より思ひいだし給へるなるべしと聞こえていとをかし。詩などもよく心得給へりけるなるべし。左大辨宰相顯業といふ博士の語られけるは、「詩のことなどいはるゝきけば、なにがし千里などもつくりたる優にきこえて心すむわざになむある。萬里といふになりぬれば、またいふにもおよばずなどあるはと、けふあり」などぞはべりける。餘りね泣きやすきやうにぞおはしける。鳥羽にて、白河院のやぶさめといふこ