Page:Kokubun taikan 07.pdf/409

提供:Wikisource
このページは校正済みです

られたるにや、常に見ゆるやうにはかはりてぞ侍りける。おほぢの、すざかの治部卿の御手にぞよく似て侍るなる。その定信の君は、一切經を一筆にかき給へる、たゞ人ともおぼえ給はず。世になきことにこそ侍るめれ。五部の大乘經などだに、ありがたく侍るに、いと尊き契りむすび給へる人なるべし。敎長の御わらは名は、文珠君と聞こえき。殿上人におはせしにも、道心おはして、をとこながら、ひじりにおはすときこえ給ひしかば、いかばかり尊くおはすらむ。その御弟にて、賀茂ばらの公だち、あまたおはすと聞こえたまふ。その御母こそ、歌よみにおはせしか。おほぢの、名高き歌よみなりしかばなるべし。いとやさしくこそ。「月やむかしのかたみなるらむ」とよみ給へるぞかし。撰集には有敎が母とていり給へり。奈良、仁和寺、山などに、僧きんだちも多くおはすとぞ聞こえ給ふ。民部卿の次に、宮內卿と聞こえ給ひし、上達部にもならでやみ給ひにき。

     ふるさとの花の色

おほとのゝ僧公達には、山には理智房の座主と申して、男公達より、兄におはしけるなるべし。奈良には覺信大僧正、三井寺には、白河の僧正增智とて、讃岐のみかどの護持僧におはしき。忠敎の大納言の、ひとつ腹とぞきこえ給ふ。德大寺の法眼と申しゝは、花山の院の左のおとゞの、一つ腹におはす。心のきゝ給へるにや、法金剛院の、石立てなどにめされて、參り給ひけるとかや。梵字などもよくかき給ふとぞきこえ給ひし。奈良に玄覺僧正と申しゝもおはしき。うせ給ひしほどに、仁和寺の寬運とかいひし人、御修法の賞に、僧都になりし、いかな