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りしことにか。たれが御使ひとかやとて、日每に、みてぐら奉らるゝことありと聞こしめしたりけるとかや。二條殿の御時にも、範俊とかやきこえし、鳥羽の僧正、林の中に、しのびてたてられたる丈六の明王の御堂にて、みずほふ行はせ給ふなど聞こえはべりし。これらよしなきことに侍り。山の座主行玄大僧正ときこえ給ひしは、やんごとなき眞言師にて、鳥羽の院、佛の如くにおもほし給ふと聞えき。三昧のあざり良祐といひしやんごとなき眞言の師にこまかに傳へ習ひ給ひて、心ばへ振舞ひありがたく、僧のあらまほしきさまにて、さる人まだ出できがたくなむおはしける。尊勝陀羅尼の御導師におはしけるに、日ぐらしあることなれば、僧膳などいふこともあり。又おのづから立ち給ふことなどありけるに、御扇のうへに、五鈷置きて、わが御代りにとゞめ給ひけるなどをも、いと心にくゝよしありて、めもあやにぞ思ひあへりける。鳥羽の院御ぐしおろさせ給ひし年にや侍りけむ、七月ばかりより御わらはやみ、大事におはしまして、月比わづらはせ給ひしに、さまざまの御祈りせさせ給はぬ事なく、かたがたより御祈りしつゝ奉りたまふ。げんざとて、三井寺の覺宗などいふ僧たち、うちかはりつゝ參りても、怠らせ給はで、あさましくきこえ侍りしに、げんざなどし給ふさまにはおはせねど、この座主參り給ひて、祈り奉り給ひけるにこそ、かひがひしく怠らせ給ひにければ、又後にも、程へておこらせ給へりけるにも、たびたびやめたてまつり給ひけるとこそ聞こえ侍りしか。かやうの驗者には、山伏をのみ賴もしきものには思ひあへるに、誠しきことは、この度ぞ見え侍りける。山科寺の尋範僧正と申すぞ、ひとり殘り給ひて、此の比