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ほ笛吹かせたまひて、いらせ給ひにけるを、いそぎて御返事申せと侍りつる物をと思ひて、おどろかし申されければ、出でさせ給ひて、「いかさまにも、御計らひにこそ侍らめ。かく仰せつかはすべしとも思うたまへ侍らず。かゝる仰せ侍れば、恐れながら申し侍るになむ。昔うけたまはり侍りし仰せに、世のまつりごとは、司召にあるべきなり。然あれば大臣大將などより始めて、靱負のまつりごとまで、人の耳おどろくばかりのつかさをば、よくためらひて、世の人いはむ〈はいむイ〉ことを聞くべきなりとうけたまはり侍りしより、いとかしこき仰せなりと、心の底に思ひ給へてなむ、まかりすぎ侍る。この大將のことは、然るべきにとりて、家忠こそ、關白の子にて侍る上に、位も上﨟に侍るを、こえ侍らむや、いかゞと思うたまふるに、下﨟なりとも、身のざえなどすぐれ侍らば其のかたともおぼえ侍るべきに、それもまさりたることも侍らず。いかにも御計らひに侍るべしと申せ」との給はせければ、歸り參られ侍りけるに、いそぎ問はせ給ひけるに、かくと申しければ、院きかせ給ひて「暫し侍へ」とて重ねて召して「えもいはずのたまはするものかな。誠にことわりなり」とて家忠仰せ下すべきよし侍りてぞこのおとゞ大將にはなり給ひける。此のおとゞの御子は中納言忠宗と申しき。その中納言は、播磨守定綱と聞こえしむすめのはらにおはしき。中納言いとよき人にぞおはせし。雅兼の中納言とならび給ひて、五位の藏人十年ばかり、藏人の頭にても十年などやおはしけむ。二十年の職事にて、ふたりながら、同じやうに仕へ給ひしに、昔にもはぢず、末の世にはありがたき職事とて、惜まれ給ふほどに、なかなかおそく昇りたまふとぞいたみたまひ