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     花の山

大殿のをのこ公だちは、後の二條殿の次に、花山の院の左のおとゞ家忠とて、大臣の大將にて、久しく一の上にておはしき。其の御母は、美濃守賴國と聞こえし源氏のむすめの腹におはす。此のおとゞ、關白にもなり給ふべき人におはすれど、御兄の二條殿の御子、富家の入道おとゞの、大殿のうまごにおはする上に、御子にしたてまつり給ひて、關白つぎ給へれば、大殿のおはしましゝ代より、「ふけ殿をたのみにしてあれ」と仰せられ掟てさせ給ひければ、何事も申し合せつゝ過ぎ給へりけるに、富家殿關白になり給ひて、大將のき給へりけるを、白河の院の御おぼえにて、「宗通大納言なるべし」と聞こえければ、このおとゞ、富家殿に、「いかゞし侍るべき」と申しあはせ給ひければ、「いかにも力及ばぬ事にこそあめれ。さるにても、もし少しのつまともやなると中宮に心ざしを見え申し給へ。この家にいとなきことなれど」など侍りければ「誠にしか侍る事」とて申しいれ給へりければ、「思ひがけね御心ざし」など聞え給ひけるほどに、白河の院、宗忠のおとゞ頭の辨におはしける時、「きとまゐれ」と侍りければ、おそくやおぼしめすらむと、恐れおぼしけれど、いと心よき御けしきにて、堀河のみかど、位おはしましゝ時、「內へ參りて申せ」とて、「大將あきて侍るに宗通をなし侍らむと思ひ給ふなり。幼くよりおぼしたて侍りて、さりがたく思ふ餘りになむなど奏せよ」と侍りければ、わづらはしきことにかゝりぬと思ひながら、參り給へりけるに、內は御笛吹かせ給ひて、聞こしめしも入れざりけるを、ひま伺ひて、かく奏し給ひければ、御返事もなくて、な