Page:Kokubun taikan 07.pdf/403

提供:Wikisource
このページは校正済みです

まはせける。次の夜、寺の大阿闍梨房へおはしたるとなむ。年ごろの御心ざしの上に、時の一の人の、わづらひたまふだに、人もたゆむこと多く、世のたのみなきやうに、覺えたまふことの、心ぼそくおぼえ給へて、さばかりの惜しかるべききんだちの、その御年のほどに、おもほしとり、行ひすまし給へりし。あはれなどいふも、こともよろしかりしことぞかし。此のことを、又人の申し侍りしは、齊信公任俊賢行成ときこえ給ひし大納言たち、陣の座にて、世の定めなどしたまひけるを、立ち聞き給ひて、位高くのぼらむと思ふは、身の耻を知らぬにこそありけれ。かやうに、後の世をぞ思ひとるべかりけるなどおもひて、出でたまひける夜、重家の少將、御親の大臣殿に、いとま申し給ひけるを、大方とゞめらるべきけしきも、なかりければ、えとゞめ給はざりけるとも聞え侍りき。行成大納言の御日記には、さきに申しつるやうにぞ侍るなる。これはこと人の語りはべりしなり。四條大納言公任の御歌など侍りしかとよ。御集などには見え侍らむ。又飯室の入道中納言の御子、成房の中將の君も、おやの中納言の同じふかき谷に入り居つゝ、室ならべて行ひ給ひしぞかし。義懷の中納言、惟成の辨、このふたりは、花山の院の折、かしらおろし給へりき。四條の大納言の御歌、辨のだいとこのもとに、

  「さゞ浪やしがの浦風いかばかり心の內のすゞしかるらむ」

と聞こえ侍りし。昔こそさかりなる人の、かやうなるは聞こえ給ひしか。近き世にはかゝる人も聞こえたまはぬをこの公房の少將こそ、あはれに悲しく聞こえたまへ。