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かしらおろして住み給ふなれば、御親の中納言も、それに引かれて、深き山にも、住みたまへるなるべし。昔こそ若き近衞のすけなど、世をのがれて山に住み給ふとは、古き物語にも聞こえ侍れ。まさにこれこそあはれに悲しく、花山僧正の、深草の御時、藏人頭にておはしけるが、夜晝仕うまつりて、諒闇になりにければ、悲しびに堪へず、御ぐしおろし給ひて、苔の衣かわきがたく、入道中納言、後一條の院の御忌にみかどを戀ひ奉りて、世を背きて、深き山に住み給ひけむにも、おくれぬあはれさにこそ聞え給ふめれ。昔はいかばかりかは、かやうの人聞え給ひし。九條殿の御子、高光少將、始めは橫河にすみ給ひて「たゞかばかりぞ枝にのこれる」などいふ御歌きこえ侍りき。後には多武の峯におはしき。又少將時敍と聞こえ給ひし源氏の、一條のおとゞの御子、大原の御室などきこえて、やんごとなき眞言師おはしき。又村上の兵部卿致平のみこの、成信の中將、又堀河關白のうまごにやおはしけむ、重家の少將とて、左大臣のひとり子におはせし、もろともに佛道に一つ御心に、契り申し給ひて、三井寺の慶祚あざりの堂におはして、「世をそむきなむ」とのたまひければ、「名高くおはする君だちにおはするに、びんなく侍りなむ」といなび申しけれど、かねて御ぐしをきりておはしければ、慶祚阿闍梨、ゆるし聞こえてけり。照る中將、光る少將など申しけるとかや。中將は廿三、今ひとりは廿五におはしけるとかや。行成大納言の御夢に、重家の消息とて、世をそむきなむといふこと、のたまへりけるを、御堂のおとゞの御許におはしあひて、「かゝる夢こそ見侍りつれ」と語り聞え給ひければ、少將うち笑ひて、「まさしき御夢に侍り。しか思ふ」などのた