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顯季の修理のかみの御むすめの腹なるを、法性寺殿に奉り給へりき。かの女院、讃岐の帝位におはしまし、父のおとゞも時の關白におはしましゝかば、宮の御方御あそび常にせさせ給ふ。をりをりにつけつゝ、昔おぼし出づることも、いかにおほく侍らむ。卯月のころ、みかど宮の御方に小弓の御あそびに、殿上人かたわかちて、賭物など出だされ侍りけるに、扇紙を册子のかたに作りて、歌かきつけられたりけり。その歌は、

  「これを見て思ひも出でよ濱千鳥あとなき跡をたづねけりとは」

と侍りける返し、公行の宰相、右中辨とておはせしぞしたまひける。

  「はま千鳥跡なき跡を思ひ出でゝ尋ねけりともけふこそは知れ」

とぞうけ給はりし。歌は殿のよませ給へるにや侍りけむ。拾遺抄にはべる、小野宮のおとゞの故事、思ひいでられて、いとやさしくこそきこえ侍りしか。

     使あはせ

彼のみかど位おりさせ給ひしかば、皇太后宮に登らせ給へりき。近衞のみかどの御時も、母后にて、內に猶おはしましき。中宮と申しゝ時、近衞のみかどの東宮におはしましゝに、ふた宮の女房たち、常にきこえかはして、をかしき事ども侍りけるに、文の使ひ、いかなるものに侍りけるにか、わろしとて、始めは藏人を、東宮よりやられたりければ、返事又少將爲通して送りたりけり。其の返りごと、東宮より公通の少將もちておはしたりけり。かやうにする程に、左のおとゞ、中宮の女房の文もちて、わたり給ひたるに東宮の女房なげきになりて、宮司