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などゝいかゞせむずると、さまざま、もの歎きにしあへるに、傅の殿のおはしましたるは「この宮人におはしませば、ことつけにてこそあれ」などいへども、からくしまけてわぶる程に、關白殿「われ使せむ」とてふみかゝせて、中宮の御方にわたらせ給へるに、女房皆かくれて心得てさしいでねば、とかくして、うちかけて歸らせ給ひぬ。中宮には「又これにまさる使は、院こそおはしまさめ」とて、「かゝる事こそさぶらへ」とて、內の御使にやありけむ。頭の中將とて、敎長のきみ、鳥羽の院の六條におはしましゝに、申されければ「いかにも侍るべきに、女房の取り次ぎてせため侍れば、えなむし侍るまじき」と申させ給ひなどしてありときゝ侍りし、後にはいかゞなり侍りけむ。この女院始めつ方は、うへ常におはしまして、よる晝あそびせさせたまひけるに、末つ方には、兵衞のすけなどいふ人いできて、珍らしき折も、多くおはしましけるに、上ふと渡らせ給ひけるに、しばし短き御屛風のうへより、御覽じければ、きさき十五重なりたる、白き御ぞたてまつりたる御そで口の、白浪たちたるやうに、匂ひたりけるを、「浪の寄りたるを見るやうなる御そでかな」と仰せられければ、「うらみぬ袖にもや」といらへ申させ給ひけると聞こえ侍りし。「うらみぬ袖も浪は立ちけり」といふ、ふるきことなにゝ侍るとかや。折ふしいとやさしく侍りけることなどこそ、傳へうけ給はりしか。ひがごとにや侍りけむ。人の傳へ侍ることは知りがたくぞ。新院遠くおはしましてのち、この女院は御ぐしおろさせ給ひてけりとなむ聞こえさせたまふ。をなじ事と申しながらも、いとあはれに悲し。近衞の帝の御時の中宮、呈子と申しゝも、太政大臣伊通のおとゞの御むすめ