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の女御とぞ申すめりし。もとよりかの院の、うちの局わたりにおはしけるを、はつかに御覽じつけさせ給ひて三千の寵愛ひとりのみなりけり。たゞ人にはおはぜざるべし。賀茂の女御と世にはいひて、うれしき、いはひをとて、姉弟後につゞきて、聞こえしが、それは彼のやしろのつかさ、重助がむすめどもにて、女房に參りたりしかば、御目近かりしを、これは、はつかに御覽じつけられて、それがやうにはなくて、これは殊の外に、おもきさまに聞こえ給ひき。かの御さたにて、その女院もならびなくおはしましき。代々の國母にておはしましければ、ことわりとは申しながらいかばかりかは榮えさせ給ひし。をさなくては白河の院の御ふところに御足さしいれて、ひるも御殿ごもりたれば、殿など參らせ給ひたるにも、「こゝにすぢなきことの侍りて、えみづから申さず」などいらへてぞおはしましける。おとなにならせ給ひても、類ひなく聞こえ侍りき。白河の院かくれさせ給ひてこそほいの如く、殿の姬君たてまつり給ひて、女御の宣旨かうぶり給ふ。皇后宮にたち給ひてのちは、院號聞こえさせ給ひて、高陽の院と申しき。院の後まゐり給へるが、女御の宣旨は、これや始めて侍りけむ。后の宮のはじめつ方も、宇治の御幸ありて、皇后宮ひきつゞきていらせ給ひし、うるはしき行啓のやうには侍らで、皆狩衣にふりうなどして、女房の車いろいろに、もみぢの匂ひいだして、雜仕などもみな車にのりてなむ侍りし。さきざき白河の院の御時は、雜仕は皆馬にのりて、透笠たゞの笠などきて、いくらともなくこそつゞきて侍りしか。これ女車にて、これぞはじめて侍りし。后の宮には、冠にてこそ、常は人々侍ふを、これはほういになされてなむ侍り