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たざまに、わたらせ給ひければ、その御隨身、ふと思ひよりて、もし小野のきさきの、山ずみし給ふなどへや、わたらせ給はむずらむと思ひて、かの宮にまうで仕うまつるものにや侍りけむ、俄にしのびて「みゆきのけさ侍る。そなたざまに渡らせ給ふ。もしその御わたりなどへや、侍らむずらむ」と吿げきこえければ、かの入道の宮、その御用意ありて、法花堂に三昧經しづやかに讀ませさせ給ひて、庭の上いさゝか人のあとふみなどもせず。うちいで十具ばかり有りけるを、中よりきりて、袖廿出ださむ用意ありけるを、「もし入りて御覽ずることも侍らむ。いと見苦しくや」と女房申しけれど、きりて出だし給ひけるに、既にわたらせたまひて、階かくしの間に、御車たてさせ給ひて、かくとや侍りけむ。さやうに侍りける程に、かざみ着たるわらは二人、ひとりはしろがねの銚子に、みき入れてもて參り、いま一人はしろがねの折敷に、こがねの盃すゑて、大柑子御さかなにて、出だし給へりければ、御ともの殿上人、とりて參りて、いとめづらしき御用意に侍りけり。かへらせ給ひてのち、「かしこく內を御覽ぜで、かへらせ給ひぬ」など、御たち申しければ「雪見に渡り給ひて、いり給ふ人やはある」とぞのたまはせける。月を雪ともきこえ侍り。さて院より御使ありて、「いと心ぐるしく、おもひやりたてまつるに、うちいでなどこそ用意して、有りがたく持たせ給へりけれ」とて、美のゝ國とかや、御庄の券奉らせ給へりければ、まゐりつかうまつるをとこ女これかれ望みけれど、御幸吿げきこえける隨身に、預けたまひけるとぞ聞き侍りし。その舍人の名は、信定とかや。殿上人は何某の辨とかや。たしかにも聞き侍らざりき。その小野の寺などは、猶殘り