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今鏡第四

    ふぢなみの上

     ふぢなみ

世繼は、入道おほきおとゞの御榮え申さむとて、その御事こまかに申したれば、その後より申すべけれど、水上あらはれぬは流れのおぼつかなければ、まづ入道おとゞの御ありさまおろおろ申し侍るべきなり。入道前の太政大臣道長のおとゞは、大入道殿の五郞、九條の右のおとゞの御孫なり。一條の院、三條の院、後一條の院、三代の關白に坐します。五十四の御年御ぐしおろさせ給ひて、萬壽四年十二月四日、六十二にてかくれさせ給ふ。をのこ君、女君、あまたおはしましき。女君、第一のは、上東門院と申して、後一條の院、後朱雀の院、二代のみかどの御母なり。次に第二の御むすめは、三條の院の中宮姸子と申しき。陽明門院の御母なり。第四は後一條の院の中宮威子と申す。二條の院と、後三條の院の皇后宮との御母なり。第六の君は後冷泉の院の御母內侍のかみ嬉子と申しき。これ皆鷹つかさ殿の御はらなり。男君だち、太郞は宇治のおほきおとゞ、次は二條殿、またおなじ御はらからなり。堀川の右のおとゞ、閑院の東宮大夫、無動寺のうまのかみ、三條の民部卿、この四ところは、高松の御はらの君だちなり。この御はらに、女君二所おはしき。ひとりは小一條の院とて、東宮より院にならせ給へりし、女御に參り給へりき。今ひとりは、土御門の右のおとゞの北の方なり。昔も今