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る事もなく、一院あめの下知ろしめし、御母ぎさき、盛りにおはしませば、いとめでたき御榮えなるべし。然あれば、ふたばの松の千代の初め、いとめでたく傳へうけたまはり侍りき。御母ぎさき此のみかど生み奉り給ひて、五六年ばかりにや、女御ときこえさせ給ひて、仁安三年と申しゝやよひの頃、皇太后宮に立たせ給へり。今は女院と申すとぞ。いとめでたき御榮えにおはします。多くの女御きさきおはしますに、みかど生み奉り給へりける御すくせ、申すもおろかなり。先のみかどの御時も、この御世にも、御產の御祈りとのみ聞こえて、誠にはあらぬ事のみ聞こえ給ひしに、いとありがたく聞こえさせ給ふ。代々のみかどの御母、ふぢなみの御流におはしますに、堀河の帝の御母ぎさきも、關白の御むすめになりて、女御に參り給へれども、誠には源氏におはしませば、ひきかへたるやうに聞こえさせ給ひしに、いま又平の氏の國母、かく榮えさせ給ふうへに、同じ氏の、上達部、殿上人、近衞づかなど、多くきこえ給ふ。此の氏の然るべく榮え給ふ時のいたれるなるべし。平の氏のはじめは、一つにおはしましけれど、にきの家と、世の固めにおはする筋とは、久しくかはりて、かたがた聞こえ給ふを、いづ方も同じ御世に、みかど后おなじ氏に榮えさせ給ふめる。平野は、あまたの家の氏神にておはすなれど、御名もとりわきて、此の神垣の榮え給ふ時なるべし。このきさきの御母、顯賴の民部卿の御むすめにおはしますなるべし。醍醐の帝の御母方の家にておはしますのみにあらず、君に仕へ奉り給ふ家、かたがた然るべく、かさなり給へるなるべし。今の世の事はゆかしく侍るを、えうけたまはらで、おぼつかなき事多くはべり。