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  「蟲のねの弱るのみかは過ぐる秋を惜む我が身ぞまづ消えぬべき」

などよませ給へりける、いとあはれにかなしく、又から萩などいふことを、かくし題にて、

  「つらからばきしべの松の波をいたみねに顯れて泣かむとぞ思ふ」

など多くきゝ侍りしかども、おぼえ侍らず。位におはしますこと、十四年なりき。御わざの夜さねしげといひしが、むかし藏人にて侍りける、おもひ出でゝよめる。

  「おもひきや蟲のねしげき淺茅生に君を見すてゝかへるべしとは」。

殿の御子の、大僧正と聞こえ給ふ、みかどの植ゑさせ給へりける菊を見給ひて、

  「よはひをば君にゆづらでしら菊のひとりおくれて露けかるらむ」

とよまれ侍りけるこそあはれに聞こえ侍りしか。備前の御とてはべりけるが、みかどおはしまさで後、むかし思ひいでけるに、しのばしき事、多く覺えければ、星合の比、內侍土佐が、かのみかどの御事の悲しみにたへで、頭おろして籠りゐ侍りけるもとにいひつかはしける。

  「あまのかはほしあひの空はかはらねどなれし雲居の秋ぞ戀しき」

とよめりけるこそいとなさけ多く聞きはべりしか。此のみかどの御母は、贈左大臣長實中納言のむすめなり。得子皇后宮と聞え給ふ、美福門院と申しき。この御有樣さきに申し侍りぬ。且は近き世の事なれば、たれもきかせ給ひけむ。されども事のつゞきに申し侍るになむ。猶あさましくおはしましゝ御すぐせぞかし。御親もおはせずなりにしかば、いかゞなりたまはむずらむと見え給ひしに、しのびて參り初め給ひて、御子たち生み奉り給ひ、女御きさきみ