Page:Kokubun taikan 07.pdf/337

提供:Wikisource
このページは校正済みです

といふ樂をなむ奏して參りける。みかど出でさせ給ひて、關白殿右のおとゞよりはじめて、簀の子にさぶらひ給ふ。宰相は例の事なれば、なかはしにおはしけり。然るべきまひども、笛の師など賞かぶりける中に、成通の宰相中將とておはしける、わざと遙かに北の方にめぐりてもとまさといふ笛の師かぶり給はれる、よろこび云ひにおはしたりけるこそ、いと優しく侍りけれ。百首の歌なども、人々によませさせ給ひけり。又撰集などせさせ給ふと聞え侍りき。かばかり好ませ給ふに、歌合侍らざりけるこそ、くちをしく侍りしか。古き事ども興さむの御志はおはしましながら、世を心にえまかせさせ給はで、院の御まゝなれば、易き事もかなはせ給はずなむおはしましける。歌よませ給ふにつけて、朝夕さぶらはれける修理權大夫行宗、三位せさせむとて、德大寺のおとゞにつけて「院に見せ參らせよ」とて、

  「我が宿に一本たてるおきなぐさあはれといかゞ思はざるべき」

とぞよませ給ひけると聞こえ侍りし。

     八重の汐路

もとの女院ふたところも、かたがたに輕からぬさまにおはしますに、いまの女院時めかせ給ひて、近衞のみかど生みたてまつらせ給へる、東宮に立てまつりて、位ゆづりたてまつらせ給ふ。その日辰の時より、上達部、さまざまのつかさづかさ參り集るに、內より院に度々御使ありて、藏人の中務少輔とかいふ人、かはるがはる參り、又六位の藏人、御文捧げつゝ參る程に、日くれがたにぞ神璽寳劔など、東宮の御所昭陽舍へ、上達部引きつゞきてわたり給ひけ